左投左打 一塁手
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (1997 - 2015)
1996年ドラフト2位で福岡ダイエーホークスに入団。1999年にレギュラーに定着一塁手や左翼手として出場し23本塁打を放ちリーグ優勝日本一に貢献。2000年に背番号を3番に変更し一塁手に固定され自身初の3割30本100打点を達成する。2001年松中、小久保、城島、井口の4人がホームランを30本以上放ちパ・リーグ史上初の30本カルテットを達成した。2002年は打撃不振に陥り3年連続の3割30本100打点を達成することができなかった。2003年長期離脱の小久保に変わりダイハード打線の4番を任され.324 30本塁打123打点の成績を記録し自身初の打点王のタイトルを獲得。2004年三冠王(最多安打、最高出塁率を含め打撃五冠)を達成ベストナイン、ゴールデングラブ賞、MVPに選出されタイトルを総ナメにした。
【成績】
130試合.358(478打数171安打)44本塁打120打点
【タイトル】
首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞、最優秀選手
【査定について】
走力D
2006年までは平均以上のものを備えていたとのことなので
左F 対右.377 対左.318
粘り打ち
ホームランバッターでありながらシーズン100三振したことがないので
ヘッドスライディング
WBC韓国戦での気迫のヘッドスライディング